今は雨でも きっと晴れる

心の中で生き続ける人

今回の手記では、
看護師時代のすなふが出会った

忘れられない患者さん…
 つまり、
「心の中で生き続ける人」
について、記しておきたいと思います。

このテーマを選んだ理由が5つあります。

人生の最期を意識した人の力になりたい

最期の選択に迷っている人の力になりたい

介護や看取る過程で辛い思いをしている人の力になりたい

死という別れを経験し、心の傷を負ってしまった人の力になりたい

自分の原点を忘れないようにしたい

「死を意識した人」が身近にいることは
かなり辛いことだと思うのです。

医療者でもそうだと思います。

私は患者さんを自分の家族のように思ってすぐ泣いてしまうタイプだったので
患者さんとの別れはいつの時も本当に悲しかったです。

だからこそ、
すぐ泣いちゃうくらい弱くてダメダメでも
それを乗り越えてきた私にしか伝えられないことがあると思います。

ぜひ今回は、ひとつの
【出会いと別れの物語】だと思って読んでいただけると嬉しいです。

*私もその人も特定されないレベルに少し変えてお送りします。

すなふ
すなふ

今回は過去の回想…
前編だよ!

看護師時代のすなふ

私、すなふは
「医療処置が一通りできる看護師になる」という目標のため、
数年前は病院で看護師として働いていました。

社会人になって初めての一人暮らし。
「自立している」と両親に認められたくて
あまり弱音を吐かないように
(いや、実はたくさん弱音を吐いていたのかもしれない)
必死になんとか頑張っていました。

身体に合わないなと思いながらも、
日勤と夜勤をシフト通りこなし、
食欲がなくても何かを食べることで生きていました。

しかし、そのうち無理がきかなくなり、
だんだんと体調が崩れ始めました。

家にいる時ですら
救急車やナースコールの音が耳から離れず、
病院の夢を見てうなされるようになり、
眠るために薬を使うようになりました。

睡眠不足や食欲不振でめまいが酷くなり、
次第に夜勤ができなくなって
日勤だけで働くようになりました。

連休がほとんどなかったため、
毎日のように日中病院にいる
「日勤看護師すなふ」
が爆誕したのです…!

「忘れられない患者」Aさんとの出会い

そんな「日勤看護師すなふ」でしたが

「忘れられない患者」Aさんと出会います。


Aさんは70代の男性で、
他の病院からの紹介で、私のいる病院へやってきました。

Aさんのざっくりプロフィール

・仕事一筋の人だったため、家族と一緒に過ごすことがあまりなかった

 

・進行性の病気を発症し、今までできたことができなくなっていった

・自分の未来を見据え、
 「口から食べられなくなったら、胃瘻などの延命処置は一切しないで、
 ただ静かに見送って欲しい」と家族に事前に言っていた

・病気が進行していくにつれ、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返し、
 とうとう寝たきりになってしまった

・認知機能が低下してしまい、うなづいたり手足を動かすこともなく、
 自分の意思を言葉で伝えられない状態であった

物を飲み込む働きを嚥下(えんげ)機能といい、口から食道→胃へ入るべきものが、間違って肺につながる気管に入ってしまうことを誤嚥(ごえん)といいます。

誤嚥性肺炎は、嚥下機能の障害のため、唾液・食べ物・胃液などと一緒に細菌が気道に誤って入ることによって発症します。

ご高齢になると、筋肉全体が衰え、飲み込みのために使う筋肉が落ちることで嚥下機能障害になり、誤嚥性肺炎を起こしやすくなります。

病気や加齢などの理由で、口から食べ物・水分・薬を摂ることが難しく、誤嚥(ごえん)の危険性が高い方に対して、栄養を摂るために行われる方法の1つ。

身体の外から消化管内に通した管を使って流動食を投与する処置です。

鼻から管を通す場合は経鼻(けいび)経管栄養といい、特別な手術が不要です。
胃や食道からの逆流や誤嚥性肺炎などの合併症を引き起こす危険性があるため、短期間で口から栄養を摂れるくらい回復すると見込まれる場合などに、一時的処置として行われます。

胃に直接通す場合は胃瘻(いろう)、腸に通す場合は腸瘻(ちょうろう)となり、手術が必要です。

食物や水分や薬を投与するために、お腹の壁に手術で穴を開けて、胃の中へ通り道をつくって投与する方法の1つ。

「自分の口から食べ物を取れなくなった」ご高齢の方に対して胃瘻を行うことは、非倫理的な延命行為だとして禁止している国もあるそうです。


Aさんは、誤嚥性肺炎を繰り返しており、
とても危険な状態であったため、
他の病院ですでに経鼻経管栄養のための管を入れられていました。

本人が嫌がっていた「栄養を注入する」という処置でしたが、
それをすることによって生命を繋いでいる状態でした。

Aさんの奥さんは
本人の意思に反して管を入れたことを
深く深く後悔していました。

担当の先生は入院時に
「リハビリをしてみて良くなるようだったら鼻の管を抜いて退院しましょう」
といった…
かなり前向きな入院説明をしました。

だからこそご家族は
「進行性の病気でも、
リハビリしたら良くなるのかもしれない」
という希望を持ち続け、
罪悪感があっても
「一時的な経管栄養」を決めたのです。

Aさんはその時、物言わず、
大きくつぶらな瞳で
天井をただ見つめていました。

コロナ真っ只中のその当時、
入院中はご家族でも面会禁止でした。

奥さんはしばらく会えなくなるAさんに
「お父さん、管は嫌だって言ってたのにごめんね。早く良くなってね。」
と言い残し、病院を出ました。

私は、Aさんの担当看護師として、
その日から毎日関わることになりました。

良くならない日々の苦悩

Aさんは入院してすぐに
誤嚥性肺炎の点滴治療を始めました。

点滴治療を始めると、
次第に熱は落ち着いていくのです。

治療も効いてきたし、頃合いかな…
と先生が栄養剤を再開します。

ところが、
だんだん痰が増えてきて、熱が上がり、
誤嚥性肺炎を再度起こしてしまうのです。

栄養剤が多すぎる?
消化能力が落ちている?
胃から逆流している?
そもそも痰が多すぎる?

全て関係してそうですが、
経鼻経管栄養で
入院してからも何度も
誤嚥性肺炎を繰り返しました。

Aさんは痰が多く
何度取っても詰まりかけてしまうのです。
そのたびに、
「あ〝あ〝あ〝ーーーーー!!!」
とナースステーションまで苦しそうな声が響いていました。

窒息しそうな危険な状態が続くために
一時的に栄養剤を少なくしたり
栄養剤を止めざるを得なかったのです。

Aさんは今までしっかり食事を摂れずに
入退院を繰り返していたため、
出会った当初からすごく痩せ型でした。

入院してからも十分な栄養をとれず、
さらに痩せ細っていくのがわかりました。

栄養が足りずに体力も落ち
手足がパンパンにむくんでしまったり
他のところで細菌感染を起こしたり
高熱が出てぐったりして
声まで出せなくなってしまって…

見ていられない程に辛く苦しそうでした。

看護師として毎日関わっていましたが
状態が良くならないことや
何もできないことに無力さを感じて
本当に苦しかったです。

「Aさんはこんなに頑張っているけれど、

    身体の方が限界なのかもしれない」


しかし
そんな中であっても、
床ずれができないように、と
毎日のケアや体位変換などの看護は丁寧に行いました。

調子の悪い日は
「また熱が出てしまって辛いですね…」
と氷枕を交換しました。

調子の良い日は
ぱっちりした目で私を追ってくれるため、
「今日は調子が良さそうですね!」
と話しかけ、シャンプーや髭剃りなどをしました。

ご家族が届けてくださったお手紙や
お孫さんからの折り紙のお守りなどを
ベッドから見えるように置いたりして、
少しでも気持ちが癒されるように心がけました。

返事はなくても
良くなっている兆しはなくても
毎日明るく接し続けました。

看護師としてできることは、
何でもして差し上げたかったのです。

すなふ自身も限界看護師でしたが、
頑張っているAさんに励まされて癒されて
毎日通うことができていました。

Aさんのご家族にもお電話で
入院中の様子を日々お伝えしていました。

勇気ある最期の決断

そうしている内に月日は流れ…

「自分の口から食べて退院する」のは
本当に難しい目標だ、と感じていました。

そんなある日、Aさんの奥様から
「先生に状態を説明してもらいたい」
「お父さんに面会させてもらえませんか」
とお電話があったのです。

その頃、
ようやくAさんの熱がおさまり、
痰の状態が少しずつ安定し始め、
全身のむくみも感染症も落ち着いていました。

私は数ヶ月間、
毎日のようにAさんを見てきて、
この時は最高に良い状態だと思いました。

入院以来初めてご家族が来院し、
病状説明の場が設けられるという時に
Aさんは最高のコンディションに整っていたのです。

私は、このタイミングを逃してしまうと、
Aさんは自宅に帰れないかもしれない、
と感覚的に思いました。

今後どうしていきたいと思っているのか…

自宅で一緒に過ごしたい、
といった希望はないだろうか…

コロナ禍で面会制限が厳しいまま、
もしご家族があまり会えないまま、
もしものことがあったらどうしよう…

私自身にも色々な思いがありました。

しかし、何よりも、

Aさんにもご家族にも
後悔のない選択をしてもらいたい

その一心で、その場に臨み、
ご家族とお話ししました。


すると、
奥様は静かに決意した顔で言いました。

Aさんの奥様
Aさんの奥様

すなふさん、本当にありがとう。

いつもお父さんに優しく接してくれて看護してくださって…。
本当に感謝しています。

私、この会えない間、本当に悩んで苦しんで考えたんです。

お父さんは管を入れないで静かに見送ってくれって言っていたのに、私にはその勇気がなくて、決心できなかったんですよね。

でも、この数ヶ月、管を入れている毎日が本人にとって辛く苦しかったんだと思ったら、もうそんな苦しい思いをさせたくないなって…。
実は元々今日は、
先生に「栄養の管を抜いてあげてください」
ってお願いしにきたんですよ。


あと、
お父さんを家に連れて帰ってあげたいんですけど、
私も高齢ですし、苦しそうにしているのを家でずっとみるのは辛いので…

酷かもしれないけれど、
良くしてくださる皆さんに

最期までお願いしたいんです。



大変なことを決意してくださった奥様に
こんな風に言ってもらえたこと…
大切なAさんをお願いされたこと…

私は看護師冥利に尽きると思いました。


私は「人の生死はひとりだけのものではない」と思うのです。

もちろん、生命は一人一人のもので
かけがえのないものです。

しかし、
この世に生を受けるには父と母が必要で、
人生の最期も看取りやその後の手続きなどに他の人の助けが必要で…

ひとりの生死は
1人で完結できない場合が多いんですよね。


「人生はその人のもの」だと思いますが、
全てが本人のものだけではなくて、
そこに関わる色々なご縁も含め…
考慮して関わりたいと思います。

私は、
別れは辛くとも、Aさんの希望通り、
「静かに見送る」という決意をした奥様にとても驚きました。

私が同じ立場だったとしてできるか、
自分の親の時にそんな風に考えられるか、
と思うとやはり難しいだろうなと思います。

本当に、本当に、勇気ある決断でした。

担当の先生は一部始終を聞いてから、
ご家族を病室へ案内し、Aさんとご家族との面会の場で言いました。

担当の先生
担当の先生

Aさん、当初の希望通りに栄養の管を抜きます。
ご家族には面会制限を少し緩和しますから、

これからは一緒に過ごせる時間が増えますよ。

そして、
鼻から胃に続く栄養の管をスーっと抜きました。

その瞬間、Aさんから
入院してから一度も見せたことのない満面の笑みがこぼれました。

それを見た奥様は泣きながら喜び、

Aさんの奥様
Aさんの奥様

お父さん、私やっと決意ができたの。
今まで苦しい思いをさせてごめんね。
先生が、これからは1週間に1回数人までなら面会していいって言ってくださったから、
孫の〇〇くんや友人の△△さんにも声かけて、みんなで順番に会いに来るからね。
ちゃんと最期まで元気でいてください。

と伝えました。

Aさんは大きな目を見開いて、
ご家族一人一人を順番に見ていました。

その後、家族水入らずで過ごされました。


私はその場で見たこの出来事に
本当に感動しました。

最期までの限られた時間を大切に
看護師として、
誠心誠意関わっていこうと決意したのでした。

前編を終えて…

ここまでが前編です。

ほんの一部ですが
ご紹介することができてよかったです。


人生は人それぞれですよね。

私自身、
色々な患者さんやそのご家族から、
沢山のことを教えていただきました。

それが、すなふの原点になっています。

だからこそ、
たくさんの人に
今ある かけがえのないご縁、
二度と訪れない限られた時間を
大切にしてもらいたいと思っています。


私も大切な人たちへの感謝を忘れずに
これからも日々過ごしていきたいです☀️

私についてはこちらの手記も参考に!

ご意見やご感想もお待ちしています☺️

後編へ
To Be Continued…….


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