今は雨でも きっと晴れる

とある保健師「すなふ」

初めまして!

楽しいこと・綺麗なもの・美味しいもの大好き

「すなふ」です!

医療系のこと書いてるけど 信頼できる?

怪しいやつじゃないのか??

色々な方に安心してブログを見て頂けるよう

自己紹介できればと思います!!

ぜひ最後まで、お付き合いください⭐️

忙しい方は目次から最後へGO!!

すなふ
すなふ

どんな人なのか

紹介していくよ!

まず「保健師」とは?

私は 看護師保健師

2つの国家資格を持っています!

以前は看護師として

現在は保健師として働いています!

世間で名の通った「看護師」と違い、

「保健師」は馴染みがないかもしれません。

令和2年度末

厚生労働省の報告によれば、

看護師は   1,280,911名

保健師は        55,595名      の方が

資格を持ってそれぞれ働いているそうです。

保健師としての活動は幅広いのですが、

実際に保健師資格を持って仕事をしている方は

看護師と比較すると とても少ないのですね👀

 ざっくり言うと!

保健師とは 

「人々の健康を守る専門職」

病気の予防や健康維持に関わっています!

看護学生や看護師さんで

保健師になりたいと思った人に向けても

情報をあげていけたらと思います٩( ‘ω’ )و✨

ので、今後の記事気長にお待ちください(笑)

看護師を目指した理由

私の親族は資格一家で

医師、薬剤師、教員などがいます。

私もいつかは何か手に職を・・・

とぼんやり考えていました。

そんなお気楽な私が高校受験の年、

遠方に住む祖父母の具合が悪くなりました。

危篤の時は、医療職の親族が駆けつけて、

祖父母の家で看護・介護、看取りまで…。

その年には祖父、次いで祖母が

穏やかに天国へと旅立ち、見送りました。

祖父と祖母を見送り 親族全員で集まった際、

身内に看護師さんがいたら

もっと良かったのにねぇ…

と口々に言っているのを横で聞いていました。

中学生ながらに、

「祖父母がいるうちに何もできなかった」

「もっと早く色々なことをしてあげたかった」

「人のお役に立てる看護師っていいかも」

と思い、看護師を志すようになりました。

保健師を目指した理由

看護師を志した私は

某大学の看護系学科で4年間学びました。

附属病院のある看護が学べる大学

という、実にシンプルな選択です。

保健師については

何も知らずに大学へ入学していたのです…。

2年生になった頃 この某大学なら

選抜試験を受けて合格だったら 看護師以外に

助産師・保健師の資格も取れると知りました。

(普通は調べて入るんですよ、全く)

それを知った当初は

⭕️持っている資格が多い方が後々良いだろう

⭕️学費は同じで4年間のうちで看護師以外に

 資格が取れるなんてラッキー⭐️

といった、それはそれは

紙のように薄っぺら〜い気持ち

保健師課程を取ることにしました

(怒られそう)

当時の私にとって

保健師の勉強は 統計や関連する法律などで

正直言うと

興味を持って勉強できる分野ではなく…

「テストの点数取れてれば良いだろう」

といった不真面目な学生でした…!!

(再度怒られそう)

そんなある日

現役の産業医から講義を受けるという

非常に貴重な機会を頂きました。

その産業医の先生は

付属の大学病院で働きながら

3つほどの大手企業の産業医を兼任されていて

学会や雑誌でたびたび紹介される

本まで出版なさっているような方でした。

講義の中で、

”看護師さんは本当に尊い仕事です。

病院に運ばれてくる患者さんの命を助け、

一番近く支える医療職だからですね。

今は医学が進歩して

助けられる命も増えてきています。

しかしながら、

悪くなってから病院に来る人では、

助けられる命に限界があります。

もっと前に重症化予防をしていれば

こんな酷い後遺症はなかったのに…

という方も多くいます。

そうした今 病院に運ばれている人を、

産業医や保健師が予防的段階で関わり、

セルフケアで良くすることができたら、

何百万何千何万人もの

数え切れない程の多くの人を救えます。

保健師

無限の可能性を秘めている仕事

ですよ。”

“『良い保健師さんが今後

  世の中にたくさん増えたら良い』

と思って 僕は毎年講義をしています。”

と先生は仰いました。

私はその偉大な先生のお言葉に、

心の底から感激しました

いつかは保健師になって

 予防医学に関わろう

とその頃 固く心に決めたのでした。

いざ、就職!

私は大学を卒業した後

結果として

保健師ではなく 看護師

附属病院ではなく 市民病院へ就職しました。

大学側は附属病院に就職して欲しいので

外部の病院に就職する民へは

サポートがほとんどありませんでした。

そのため、

某大学からは完全ぼっちの就職で・・・

同級生のコメント一部抜粋

「面接だけで就活終わる附属があるのに」

「外部より給料も良いのに、

 他の病院を受ける意味がわからない」

「実習中に自分で書類作って送って、

 休みの日に小論文と面接で就活とか、

 めっちゃめんどくさいじゃん…」

「1人で就職とか寂しくない?」

「ほんとどうした…?(真顔)」

と、当時友人から色々言われました。

改めてまとめると、

随分と好き勝手言ってくれましたね〜(笑)

就職後 転職も経験しているので、

「判断を間違えただろうか」

と思うこともありました。

しかし、今は不思議と後悔はありません。

すなふ
すなふ

新しい場所での新しい仲間

患者さんとの出会いが

昔の私を変えていき

今の「すなふ」を

つくっていったのです!

全て自分で考えて決断してきたことが、

後悔しないポイントだったのかもしれません💡

なぜ 急性期病院に就職?

なぜ、急性期病院で

看護師として就職することを選択したか…

その理由は

・看護師の経験を語れる人になりたかった

・看護師の一般的手技は習得したかった

・危険な状態・血液データは

 絶対にわかるようになりたかった

からですね…!!

危険な状態がわからない程

恐ろしいことはありません。

自分はその辺は心底心配性なので

急性期病院へは修行しにいきました…。

実際、就職した総合の市民病院では、

大変なことが沢山ありましたが、

基本的な看護的な手技や考察力

を身につけることができました。

最初に就職する病院での経験は、

その後の看護職キャリアに大きく影響します。

”看護師の就職や転職は

 一般職とのそれとは違う”

と私は思っています。

私も沢山悩みました。

でも あなたに合う場所がきっとあります。

ぜひ、納得できる場所を見つけてください。

いつか就職や転職に関する記事も載せたいですね。

看護師としての日々

私は新卒で病棟看護師として働き始めました。

色々な思いを抱えていた中で、

市民病院を経て、個人病院へと転職しました。

辛い思いをしている

患者さんやその家族の方に関わるのは

並大抵の気持ちでは乗り切れません。

看護師として働いていた時は、

たくさんの人を看護し、お看取りしました。

この人の最期に、

 私は看護師としてできることをしたのか

この人の人生は幸せだったのだろうか

と思い悩むこともあり、

自分の身体と心の健康を保つのに必死でした。

夜勤も自分には心底合わなかったのですが、

その当時は、それはもう

必死にがむしゃらに頑張りました。

「がむしゃらに頑張る」って

身体にも心にも、

ものすごい大きな負担がかかります。

自分の不調に目を背けて働いてしまった結果、

次第に夜勤ができなくなり、

看護師として働くのが難しい程まで

心身の健康に影響が出始めてしまいました。

その時の職場は慢性的な人手不足で、

退職の相談しても

すぐには辞めさせて貰えませんでした。

「私より辛い人が沢山いる」

「私にもまだ手助けできることがある」

と自分をどうにか奮い立たせ働き続けました。

看護師時代の全ての経験

私の価値観に影響を与え

今ここに「すなふ」として

情報発信する原動力となっています

今あなたに心身の問題がなければ

自覚することはないかもしれません。

人は毎日 死に向かって時を刻んでいます。

私も、もちろん あなたも

大切な家族も友人も恋人も…

誰1人として例外なく。当たり前ですが、

誰も不老不死にはなれないのです。

大切に思っていた患者さんの最期に

何度も何度も何度も直面することで、

自分自身の心身の健康

自分の限られた時間や資源をどう使うのか

 という「今後の生き方そのもの」

人生の最期はどうしたいのか など…

今までの自分と向き合い

色々考え始めたのも この頃でした。

最初の看護師を目指したきっかけは

「人のお役に立てる仕事がしたい」でした。

白衣の天使らしい心構えかもしれませんね。

でも、それが決して

「自己犠牲になってはいけない」のです。

働き始めて

自分の健康を崩し始めて…

そこまでしてやっと

自分自身の人生

自分自身の健康 の大切さに気がつきました。

自分の心身は健康だからこそ

辛い状態の患者さんにも

しっかり向き合うことができる

それがケアを提供する側のあるべき姿だ

と私は思うのです。

看護師「すなふ」は休職!

体調を崩し始めてからも働き続け、

眠剤を内服する、でも眠れない

食欲が湧かない、じゃあ食べない

明るい時間には帰れず連休がない…

心から笑えない日々が続きました。

休職できたのは 半年以上経ってからでした。

そうとは言っても、

今まで必死に走り続けていた私が

「明日から働かなくて良いよ〜」と言われても

うまく時間は使えませんでした。

初めは無気力で何もする気が起きなくて、

夜は眠れず、朝は起きられず・・・。

「社会復帰は夢のまた夢だなぁ」と思いました。

しかし、

休職したことを知った友人たちが

次々に会う約束を取り付けてくれました。

色々なところに一緒にいったり

少し遠くへ旅行に行ったり

数年振りに色々な人に会いにいきました。

実家にも頻繁に帰るようになり、

家族の優しさにも触れて

少しずつ自分らしさを取り戻していきました。

どうしようもなく辛くて

自分が嫌になってしまうことって

誰にでもいつだってあると思うんです。

私はいつからか

自分に本当に自信がなくなってしまって

他人からの評価でしか

自分の価値を決められなかったのです。

だからこそ

「人のお役に立てる仕事」をして

「自分は人に必要とされている」という

絶対的存在価値が欲しかったのだと思います。

それが失われた時に、

もう価値のない存在になったかもしれないと

生きる意味さえも失いかけました。

でも 人の存在価値は

そんな職業とか肩書とか

自信の有無で簡単に判断できる

といったものではありませんよね???

「本当の存在価値」

もっともっと複雑で個別性があって

これからもずっと自分で更新し続けられるのだ

と思っています。

私において言えば、

楽しいこと・綺麗なもの・美味しいもの

ワクワクすること全てが詰まった

「温かな時間」があること!

それが 私らしさを思い出させてくれました。

どうしようもなく雨模様だったとしても

いつかはきっと晴れるのですね☀️

実は私 !びっくりするほど!本当に!

晴れ女なんですよ!!!!!

90%の台風予報を晴れにするくらい(笑)

再就職活動 開始!

心身の不調を乗り越えて落ち着いてきた頃

本格的に再就職へと動き始めました。

やはり保健師になる夢は捨てきれず、

看護師の転職サイトやハローワークで

保健師の求人を中心に探していました。

保健師は人気で 経験者が優遇されることが多く

中々良い求人を探すのが難しいのです。

人が寄りつかない=訳あり☠️

ということもあります。

転職サイトの丁寧なお兄さん、

ハローワークのダンディなおじ様、

全力サポートをもらいながら臨み続けました。

その結果 奇跡的に、

自分の通えるところに保健師求人を見つけ、

とうとう憧れの保健師としての再就職

を果たしました。

休職中に応援してくれていた人達に伝えると

自分のことのように喜んでくれました。

「周りの人に恵まれたな」

あの時人生諦めなくてよかった

って何度も思いましたね!

保健師「すなふ」成長中!

現在は保健師として、

健康診断や健康相談、

メタボの人に対しての特定保健指導など、

予防医学に携わることができています。

私が目指していた「保健師」

「幅広い視点で相談にのれる

 もっとも身近な医療職

その理想に近づいてきている実感があります。

保健指導においては

ベテランの保健師さん・管理栄養士さん、

また病気の有無に関係なく対象者の方々から

お話の中で学ばせていただくことが沢山あり、

私も日々成長できていると思っています。

看護師として…保健師として…

何より人として…

沢山の方と出会い、

沢山の方との別れを繰り返してきました。

その実際の経験の中で

「すなふ」自身が考えていることを

保健師として日々お話ししています。

そして、また再度働き始めた身としては、

自分の心身の健康も守れるのが大前提!

これからは無理をせず

ゆるりと程々に🌱

そういうゆるーくて穏やかな人の方が

なんでも相談しやすいでしょう??

私はどこまでいっても私なので

これからも私らしくいこうと思います(*´ω`*)笑

保健師が考える「健幸な人生」

「健康」は「幸福の手段」であって

     「幸福の目的」ではないです。

つまりは

「健康になれたから幸福」

もありますが、それよりは

「幸福でいるために

  健康は必須」

と言う感じです(笑)

何を当たり前なことを…

と思われたかもしれませんが、

その当たり前が難しいんですよ…。

でも、

病気や障がいを持っていたとしても

自分なりの良い状態が保てていて

心が豊かになる時間が持てるなら

それは幸せと言えるのではないでしょうか?

その自分なりの健康を守るため

病院は最期の砦になります。

自分ではどうしようもないくらい

高度な医療処置が必要な人が

たくさんの医療職の手を借りながら

治療に励んだり、療養する場所だ

と個人的には考えています。

何故か治療が難しい病気は

ある時 突然襲ってきて、

普通の日常を脅かします。

本人にも家族にも非はないのに、です。

しかし、

そういう病気に罹患する方に限って

大抵ものすごく優しいのです。

看護師自身が痛々しい程の

自己犠牲的なケアは望んでいないのです。

そういった辛い立場にある患者さんにこそ、

心温まる行き届いた

優しい看護が提供できるよう、

私が、医療者側が、

今 健康でいられている人が

変わらないといけないと思うのです。

自分の健康は ある程度 自分で守れます。

どんなに他人が

「健康になってくれ!」と願っても

本人の代わりに

その心身を健康にすることはできないのです。

ちゃんと定期健康診断を受けたり、

健康診断の結果を見て 生活を見直したり、

無理せず毎日を過ごしたり…と

一人一人にできることは

たくさんあります

病院では、偉大な先生が言っておられたように

「もっと改善や気づきが早ければ…」

と 私も何度も思っていました。

心や体が悲鳴に耳を傾けていない人 や

生活改善で良くなる可能性を秘めている人は

ぜひ、自分を見直してみて欲しいです。

私のように調子を崩してしまう前に、です。

人生の最期の方は仕方ないとしても

ギリギリまで健康で自立していて

日々生きがいを持って

楽しく愉快に過ごせた方が幸福

だと思いませんか??

「良い人生だった」

と最期に心の底から思って欲しいのです。

すなふ
すなふ

少子高齢化が進んでも

みんなが健康で幸せで

病院の手厚いサポート

必要な

必要な人

必要な分だけ 受けられる

それが当たり前の世界

になりますように

と心の底から願っています💫

このブログを読んでいる「あなた」へ

この手記をはじめた理由は

届けたい大切な人がいるからです。

・がむしゃらに生きていた 「幼い私」

・どんな人と、どんな出会いをして、

 どんなことを思っていたのか、

 忘れてしまうかもしれない「未来の私」

・私が大切に思っている「身近な人」

・健康で幸せな人生について

 一緒に考えてくれる「全ての人」

自分が自分のため書いたものが

誰かのためになる、というのは

すごく素敵なことだと思います。

なので、

「自分の生活や体調と相談しながら、

 無理ない範囲で続けていきたい

今はそう思っています。



健康な身体と心

生きていく上でどれ程大切か

嫌というほど目の当たりにし、

実際に自分も経験してきました。

だからこそ、

今後も私の考えを思いを

継続して発信していきますね!

幸福な人生

どんな人生を歩んでいきたいのか

自分に問いかけることから始まります

すなふ
すなふ

あなたはこれから

どんな人生にしていきたいですか?

最後まで読んで頂きありがとうございました🌷

あなたと私と世界の幸せを栄養にして

「すなふ」は今日も元気に生きていますよ!

ぜひ これからも定期的に読んで

応援してもらえると嬉しいです!笑

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