今回の手記では、
看護師時代のすなふが出会った
忘れられない患者さん…
つまり、
「心の中で生き続ける人」
について、記しておきたいと思います。
前編を読んでいない方は
ぜひ前編から目を通してくださいね☺️
この【出会いと別れの物語】を通じて
生きている素晴らしさを感じられる人が
1人でも増えて欲しいと願っています。
*私もその人も特定されないレベルに少し変えてお送りします。
今回は過去の回想…
後編だよ!
遅くなっちゃった…!
けど、
来てくれてありがとう!!
前回のざっくりあらすじ
「医療処置が一通りできる看護師になる」という目標のため、
すなふ は病院で、日勤の看護師として働いていました。
そこで
進行性の病気をもつAさん、
Aさんのことを大切に思うご家族と出会いました。
ご家族は悩んだ末に
Aさんが元々希望していた通り
「静かに見送る」ことを決意します。
それを受けて すなふ は
「最期までAさんの担当看護師として、誠心誠意関わっていこう」
と決意し、毎日のように病院でAさんと関わるようになりました。
家族の関係性の変化
私は日々看護をしている中で
病室はお家に比べてあまりにも殺風景で、
「少しでいいから何かあると良いのにな」と思いました。
そこで、
Aさんは何が好きだったのか、とご家族にお聞きし、
病室で楽しめるものがあったらご持参くださいとお伝えしました。
奥様は
Aさんが好きだったという歌謡曲のCDと
ラジオを流せるCDプレイヤーを持参してくださいました。
「みんなで集まって家族会議して、
お父さんが好きだったものは何か…、
今後どうしてあげたい…なんて、
こんなに家族で真剣に話し合ったのは初めてでした。」
「お父さんは元々仕事一筋だったし、
家族で過ごすことがあまりなかったんです。
だから、家族みんなで集まるのも、こうなってからなんですよね。」
「お父さんが家族を繋ぎとめてくれたなと思ってます。」
「もっと前から一緒に過ごせる時間を大切にしておけば良かったですね。」
と少し寂しそうな笑顔で奥様は言っておられました。
と同時に、
「家族以外にもお父さんの仕事仲間を順番にお呼びするつもりです。
お父さんにとって大切な人たちだったから喜ぶと思います。」
と嬉しそうにもしておられました。
栄養が摂れなくなった今、
刻々と最期は近づいているAさん。
限られた時間でどうしたいか、をみんなで考えて
一緒に過ごせる時間を大切にしていました。
Aさんも仕事一筋とはいえ、
ご家族にとって本当に良いお父さんだったのでしょう。
何度も本当に良いご家族だな、と思いました。
何気ない日常の素晴らしさ
調子が整っていた日に初めて
お風呂にかなり近い
「機械浴」に入ってもらいました。
その日の朝は血圧とかを十分に確認して、
本当に調子良さそうですね!
Aさん、今日はお風呂に入りにいきますよ!
とお伝えしました。
すると、Aさんは
順番を待っている時間も
お風呂に入っている間も
部屋に帰ってきてからも
ずーっとニコニコしていました。
本当にすごくさっぱりした様子でした。
その様子をご覧になった奥様が
お父さんはお風呂が本当に大好きだったんです!
すごく喜んでいると思います!
と本当に心から喜んでくださいました。
またある時は
歯磨きをしている私に対し、
ニコニコと目尻に笑い皺を寄せながら
歯ブラシを噛んで磨けないよう、イタズラをしていました。
少年のような笑顔のいたずらっ子に
私も呆れながらもいつも笑顔にさせられました。
Aさんは日を経るにつれて
「身体は飢餓状態になるとこんな風になってしまうのか」と絶句するほど
本当に痩せ細っていきました。
身体的に相当辛かったと思いますが、
丁寧なケアが功を奏していたのか、
皮膚トラブルなどの問題もなく穏やかな日常が過ぎていきました。
この頃Aさんは 入院時に比べて
笑顔を見せることが多くなりました。
栄養を入れなくなってからの方が調子良かったため
「また栄養を入れたら、もう少し長く生きられるんじゃないか」
と、奥様も随分と悩まれていました。
しかし、
Aさんの希望を叶えることを最優先に
奥様の決断は最期まで変わりませんでした。
周りの方に愛されるVIP
Aさんの奥様は
お子さん、お孫さん、仕事仲間の方など、
順番に会う日を作っては病院に来られていました。
じぃじっ子だというお孫さんは
手紙や折り紙を作って届けてくれ、
一生懸命話しかけていました。
仕事仲間の方は
今までの様子と決断した経緯を奥様から聞いて、
悲しむ様子はありつつも
若い頃の話などに花を咲かせていました。
お父さんは看護師さんたちに本当に良くしてもらってて
VIP待遇よ!特別料金必要なんじゃないかってくらい!
そんな冗談をご家族で言って談笑するくらいには
面会時間は温かい雰囲気で満ちていて、
Aさんのそばにたくさんの人が集まっていました。
Aさんはその時は終始あたりを見渡していて
皆さんの顔をしっかりと焼き付けようとしているようでした。
たくさんの人を見てきたからこそ
「家族仲が良くて愛されている」
「最期まで家族が大切に思ってくれる」
というのは
非常に貴重で本当に素晴らしいことだ
と思っています。
最期を迎えるにあたり、
スムーズなコミュニケーションが取れない中でも
たくさんの人に囲まれている…
これはAさんが今まで
一生懸命生きてきた「証」
周りの方に愛を注いできた「証」だと思うのです。
本当に人々に愛されているんだなぁと思うと同時に
私自身、Aさんのように
人々に愛される存在としてを最期を迎えたいなと感じました。
最期の瞬間は特別なもの
ある日
休み明けに病院に行くと
Aさんの部屋が
扉が閉まったまま電気が消えていました
いつもは朝になると電気がついて扉が開いていたのに
ふと見ると
扉の前にあったお名前がないのです
その瞬間にわかりました
Aさんが旅立ってしまったことが
前日まで笑顔でイタズラをしていたのに
私は毎日のように病院にいたのに
よりによって休んでいる日に旅立ってしまうなんて
直接お別れできなかったな…
たくさんの思いが込み上げてきました。
しかし、
職場の看護師仲間が
「すなふさんが病院の誰よりも最期を見届けたかっただろうに」
「でも、すごく穏やかな最期だったよ」
「奥様がすなふさんによろしくお伝えくださいって言ってたよ」
とたくさん声をかけてくださいました。
それでもその日は
気持ちの切り替えがすぐにはできずに始業開始、
ぽっかりと心に穴が空いたようになっていました。
が、
その日にAさんの奥様から
すなふさんが今日は出勤だって聞いてて、
忙しいとは思ったんですが…
と私宛に電話が来たのです。
奥様は私にAさんが旅立った日のことを
詳しく話してくださいました。
「お父さんが危ないって連絡があって、早朝家族で病院に向かったんです。
うつらうつらはしていたんですけど、
いつもと同じで穏やかに見えました。
お昼まで状態が変わらなくて、
『私が付き添うからみんなはお昼食べておいで』と
私だけが残ってお父さんと静かな病室にいたんです。
その間に今までのことを思い出しては
『色々なことがあったけど、この日を穏やかに迎えられて良かった』
としみじみと感じていました。
その時間に、お父さんは静かに旅立っていったんです。
最期、私だけがお父さんと静かに向き合う時間を貰えたんです。
すごく特別扱いされたようで、とても幸せな時間でした。
お父さんは私に気持ちを整理する時間をくれたんです。
だからこそ、明るい気持ちで送り出すことができました。」
「お父さんは恥ずかしがりで寂しがり屋さんだから
お世話になったすなふさんに直接お別れを伝えられなかったのだと思います。
良い看護師さんたちに恵まれて、
お父さんは本当に幸せでした。
良くしてくださって本当にありがとうございました。」
と、昨日見送ったとは思えない明るさで
このようにありがたい言葉を伝えてくださったのです。
奥様の話から
私は看護師としてやれることだけはやったのだ、と
なんとも言えない誇らしい気持ちになりました。
私にとっても
Aさんはかけがえのない大切な患者さんでした。
一生忘れられない患者さんです。
貴重な経験をどうもありがとうございました。
そしてしばらくして、
Aさんは「身体」という器から出て
新しい世界へ旅立ったのだと考えられるようになりました。
きっとそこでは
美味しいものを自分の口からたくさん食べているに違いないし、
ご家族を見守っていてくれているのだと思います。
私は看護師ではない今でも、
Aさんのキラキラした大きな目やクシャっとした笑顔を忘れていないし、
この頃の経験が保健師として生きていると思います。
Aさん、そしてご家族の皆様。
何年越しって感じなんですけど、
ここでもまた言わせてください。
私と出会ってくださって
貴重な経験をくださって
本当にありがとうございました。
看護師は続けられなかったんですけど、
保健師のすなふとして、
今、すごくやりがいをもって仕事ができています。
すなふ、元気に生きています…!!!
旅立つ人が残していくもの
私はAさん以外にも
天国へ旅立つ人を見送ってきました。
途中で少し触れましたが、
私は短い看護師経験の中で、
Aさんのように最期まで愛されている人は意外と少ないと感じます。
社会的地位があって裕福で
1日10万円のVIPな病室にいても
誰もお見舞いにこない、なんて話も仲間から聞きました。
病室のベッドに横たわった時に
「あの時もっと健康に気を遣っておけば良かった」
「もっと周りの意見に耳を傾けておけば良かった」
「周りの人にもっと感謝を伝えておけば良かった」
と、後悔の念に駆られている患者さんにたくさん出会いました…。
旅立つ人たちが私に残してくれたのは
「今の自分を当たり前と思わずに大切に生きなければ」
という気持ちでした。
自分の力で寝返りが打てて
自分の力で布団から起きられる
自分の力で呼吸ができて
自分の力で立ったり座ったりできて
自分の力でご飯が食べられる
自分の力でトイレに行くことができて
自分の力でお風呂に入れる
自分の力で歩くことができて
自分の力でどこへでも外出できる
いつもと変わらない生活が送れる
あまりにも当たり前になり過ぎて感謝を忘れてしまいがちなのですが、
実は全然当たり前じゃなかったんです。
それを失った人は
何十何百何千万円のお金をかけてでも
この元気だった時の
「当たり前」が欲しくなるんです。
しかし、
その真の大切さがわかるような時には
お金を出しても買えないのです…。
それを偉大な人生の先輩方から
身をもって教えてもらえたことが
私のかけがえのない財産です。
Aさんはたくさんの感謝や愛を
きっと言葉だけでなく態度でも
ご家族に伝えていたのでしょう。
これから何年経ってもAさんは
色々な人の「心の中で生き続ける」のだと思います。
私は
自分のできる限りのことをして
感謝や愛を言葉や態度でちゃんと伝えて
「自分の人生を大切な人たちと共に生きていこう」
と心に決めました。
最後に
こんな弱小ブログですが
いつかはたくさんの人に読んでもらいたい
少しでもいいから世の中のためになったらいいな
って思っています。
(スケール大き過ぎて何言ってんだ、って感じですよね)
伝えたいことはあり過ぎるんですが
出張も多いフルタイムの仕事との両立で
「1日が24時間じゃ足りないぜ!⭐︎」
っていうのが口癖(これは言い訳)ですし、
私の文章では伝わらないかもな…
って書くたびに思うのですが………
私は
人生の先輩たちから直接学ばせていただいたことを
よりたくさんの人に伝えていきたい
そう思ってこの手記をしています。
私にしか伝えられないこともある!
と信じて、
これからも細々続けていきますね!!
人が生まれる瞬間
人が最期を迎える瞬間
そこには一人一人違う物語があります。
超少子高齢化社会の中で、
私たちはこれから生まれてくる子より
もっと多くの人を見送ることでしょう。
私も大切な家族を見送らなければならない時が来ます。
それでも
私は1人でも多くの人がAさんのように
人に愛されて見守られて
納得できる最期を迎えられますように
と心から願っています。
またそのような場所をつくれたら…
と、構想していることもあります。
いつか、
そんなすなふの夢物語が現実にできるよう
日々研鑽を積んでいきたいと思います。
私ごとなのですが
最近、繁忙期だったこともあり、
あまりにも
手記もInstagramも更新してなさ過ぎて
人との集まりにも顔を出さな過ぎて
「生きているのか心配してた」
とまで言われたのですが…
この度、すなふ!
無事!!
今年も健康に
誕生日を迎えることができました!!
色々大変なこともありますが
尊敬する父と母のもとに生まれて
今日まで健康に生きられていることに
心から本当に感謝しています。
ありがとう!世界🌟
私、生まれてきて本当によかった!!!
これからも、
歳がよくわからない
キラキラした素敵なお姉様を目指して
日々がんばります!!!
これからも応援のほど
よろしくお願いいたします!笑